竹井宏明 ファッションとデザイン ■■■ 2008年2月21日

芝生でサッカー
ボール
(ある・るインタビュアー)
─ では、いろいろお聞きしたいと思います。

竹井さん(以下「竹」)「はい。」
進学
─ 小さい頃はどんなお子さんでしたか。また、美術の道に進むまでに ついて教えていただけますか。

竹 「あまり、特に…普通の子供でした。 特別美術が好きだったというわけでもなく、高校の選択授業でも 音楽を受けていました。
高校2年のある日、たまたま廊下で クラスメイトとすれ違って、『こんな遅くにどうしたの』と尋ねたら、 『放課後美術室に通っていて、美大に進学するんだ』と言われて。 それで『そういう道もあるんだ』と思いました。
そこで初めて自分も美術室を訪れて、美術の先生に相談しました。」


竹 「高校の頃は、勉強もサボっていて、進学先としては 大学ではなく専門学校に行こうかと思っていたけれど、そこで初めて 『美大っていう選択肢もある』と聞きました。
進学先として考えた理由ですが、元々服を作りたいという気持ちがあったので、 当時、美大だと選択肢は二つくらいしかなかったのです。今はもっとあるかも しれませんが。」


─ 元々服を作りたかったとのことですが、いつ頃から思って らっしゃいましたか?

竹 「中学くらいから。服が好きでした。
『好きなことが仕事になれば』と思って。 進学と共に自分で作ることを始めようと思ったんです。
ミーハーだったので、有名になりたいなとか、普通に就職するより 面白いことをしたいなとかそういう気持ちもありました。」

─ そこで、美術大学に進学することになさったのですね。

竹 「実は、大学に進学する前に、一年間専門学校に 通ったんです。(文化服装学院)
そこで衣服を作る技術を学びましたが、やはり、当初の目標通り 美大に行きたい気持ちがあったし、もっと勉強したいと思って、 その後一年浪人して、大学に進みました。(武蔵野美術大学)」

迷い
─ では、こういう衣服を作りたい・こういう作り手になりたいという ビジョンが明確になってから、大学に進学されたのでしょうか?

竹 「美大の、とくに私の専攻は技術的なサポートに あまり力を入れていない。 だから服飾をやりたければ大学を卒業してから専門学校で 技術を学ぶというケースが多いんですよ。
自分は、専門学校から大学に進んで、それは普通でいえばリスクのある道 だったけれど、技術が自分の売りになりましたね。教授にも面白がってもらえた。
それが逆に、『自信・特技にこだわり過ぎた自分』になってしまって。
大学はいろんなことを勉強できる場ですよね。 哲学や、文学の授業もあるし…その気になればいろんなことができるはず。 自分ははじめに技術に固執してしまって、つまらないスタートを 切ってしまったかなと思います。」


─ 私も総合大学出身で、幅広い分野の単位を必要とする カリキュラムでしたので理解できるように思います。

竹 「ええ。自分の興味のない課題は、手を抜いちゃいました。 興味もなかったですし。
今思えばもったいなかった。折角大学に入ったのに、専門学校と 変わらない大学生活になってしまって。」
─ 装苑の賞を受賞されたのは、大学2年の時の作品ということですが、 その頃のひとつの形ということでしょうか。

竹 「そうですね。」

─ では、服飾でのセンスと技術はその時点であるレベルまで達していた。
ただ、ご本人の中に、もう一歩進めたいものがその後出てくるわけですね。
転換期
─ では、コミュニケーションのデザインという方向への転換期になったのは いつ頃ですか?

竹 「大学4年になった時、 『このままではまずいんじゃないか、もっと勉強したい。』 そう思って、大学院に進学しました。
大学でやってきたことを考えると、すごくつまらない作品を 作っていたのでは?と、卒業の時に非常に悩みました。 大学の頃はいつも『何か作っていないと』という感じで、手を動かしていない と不安だったんです。
それが、迷いが出て、何を作ったらいいのかわからなくなってしまいました。 同時に『ここで方向が変えられるんじゃないか』と思ったんです。」
─ きっかけがあれば教えて下さい。

竹 「原研哉さんの、『デザインのデザイン』 という本を読んだんです。 自分の中でモヤモヤくすぶっていた悩みの答えが、ズバズバと書いて あった気がした。
これまでも、原研哉さんという方は知っていたけど、 このデザイナーがどんなことを考えてこれを作ったのか、この本を 読んで自分の中にスッと入ってきたんです。
それで、物作りを通して人に発信したい、コミュニケーションをしたい と考えるようになりました。」

竹「方向が定まったのが、一昨年の夏、大学院の一年の時です。 衣服を自分の手で作り上げる、手を動かすことに喜びを感じるという ことから、服を形ではなく概念・時代のアイコンとして利用 するという方に向かいました。」

竹「そこで、必ずしも自分で作る必要はない、と思ったんです。 今あるもの、たとえば売っているシャツを利用して加工して作っても 自分の作品だと言い切れる。
自分の物作りという意味が違ってきているんです。」
デザイン
─ デザイン、というキーワードが出てくるわけですが、 一般にデザインという言葉を日本語に置き換えるといろいろな 言い方になりますが、竹井さんがお考えになるデザインとは何でしょうか。

竹 「こないだ教授にも突っ込まれました。(笑) あー…難しいな。うーん………なんだろう…」

─ では、是非答えが出たら教えていただけますか。

竹 「そうですね。是非(笑)」
今後
─ この春に修了予定ということですが、今後進む道について具体的に 決まっていることがありましたら教えて下さい。

竹 「今後の予定は…未定で、決めかねているんです。 やりたい世界は見えた。これをどこに活かして、世の中に還元すると いいのかなと。
自分は世の中のことを知らな過ぎると思います。 一言でデザイナーと言ってもいろいろ、あるでしょう。
せっかく仕事をするなら、自分のやりたいことが見えたので、それを 人に面白がって受け入れてもらえること、 重宝がられることをしたいと思う。」

竹「ちょうど、修了のために提出を終えて、今個展の準備で、 うまい具合にっていうか就職に手が回らない…ようにしているのかな。
4月になってすることがなくなったら焦るんじゃないかとちょっと こわいですね。」

竹「個展はひとつの大きな区切りになると思います。 今まで、『社会性』などと言っていても、作ったものは友達や教授にしか 見せていなかったので、ここで客観的に、人に見てもらい自分でも見直す 機会にしたいです。」
社会への視線
─ 作品の数々からは一貫して、リアルな日常観、 ストレートなイメージ、作者のメッセージが伝わってきます。 また、ユーモラスでシニカルな視線を感じますね。

竹 「そうですね…先程の答えになるかもしれませんが <<デザインとは何か>>っていうことですが。 自分にわかること知っていることしか、 物を作ろうとしてもデザインにはならないのではないか、と 思うんです。
たとえば僕、フランス料理を食べたことないんですけど、 それでフランス料理店の食器を作れということになっても 知らなければやりようがない。
そんな感じで自然と、自分がよく知っている身の回りにあるものに 物作りの興味が向いたんです。」

─ 丸の内のOLを意識した作品がありましたが。

竹 「丸の内で働くOLを通して見る現在の日本の ファッションとライフスタイルをデザインしたものですね。」

─ 雑誌に見開きで掲載されたのですね。

竹 「あれは創作なんです。丸の内のOLをターゲット にした雑誌がちょうどありますので、似非(雑誌名)ですね。」

─ そうしますと、雑誌の紙面そのものが作品でもあるわけですね。

竹 「そうですね、その記事を利用してという作品ですね。」
影響
─ 影響を受けたデザイナーやアーティストはいらっしゃいますか?

竹 「原研哉さんは、僕にとっては目標であり、神のような 存在ですね。
あとは、鈴木康広さん。アーティストなんですが、いい作品を作っているなぁ と思ったら僕に年齢が近いので衝撃を受けたんですよ。 原研哉さんはいろんなアーティストを集めてプロジェクトを実行する ということをよくなさっているのですが、大御所と呼べるような方々が 集まっている中で、参加されている唯一の若いアーティストが 鈴木康広さんなんですね。」

─ どうもありがとうございました。 では、まず、御活躍をお祈りするという前に、これぞという行く道を 掴むことができますように…そのために、今回の個展を含め、 御助力になれば幸いです。

竹 「そうですね、ありがとうございます。」
「デザイン」とは何か?
竹井さんのとらえた世界を会場に展開します。どうぞお楽しみに!
ぜひお越し下さいませ。
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文章担当:Art Space ある・る くわばらともこ
ありがとうございました。
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